小林賢二のしごと

すべての自然は永劫に循環している
2013年06月17日

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供養塔によせて
   
すべての自然は永劫に循環している
   
自然、人工といったものの全ては地球上に存在しているものである。それらが形を変え、あるものは人間の手によって違う物質に姿を変え・・・しかし、それは地球上の出来事でしかなく、すべては循環していて何もなくなってはいないはずだ。そんな万物の循環というものを考えていたころに、供養塔に据えた彫刻の原形はでき上がっていた。万物が大地から生まれ再び大地に還る。その無限の循環を形象化した作品を、今回は磨かれた石壁を大地に見立て、その前に立つ人の心にとどくようなスケールや高さを推し量りながら、座像と石室と彫刻と言葉が大きなハーモニーを描くかたちと空間を生みだしたいと、計画を進めていった。
六年ほど前に母を亡くし長男を授かった頃、それはたまたまでしかないが、この循環をテーマにした作品に没頭していた。そんな折、亡くなった母の仏壇に、最近作った作品だよと一枚の写真を置いていたところ、お経を読みに来ていただいた御住職の目にふれることとなった。「輪廻転生ですか」という御住職のことばに、自分はうなずくしかなかったように記憶している。正直なところ物質の循環を考えてはいたが、仏や魂のことまでは考えていなかったかもしれない。
二人目の孫の誕生を病床で楽しみにしていた母に出生の知らせを送った三日後に彼女は逝った。母の魂がうちの長男に宿っているとは、軽々しくはいいたくはないが、私にとって衝撃的な出来事であったことは間違いない。やはりこの地球上からは何もなくなってはいないはずだと私は思う。
今回、彫刻の制作と供養塔全体のデザイン監修を依頼され、私の彫刻がお寺の境内という空間に合うのかどうか、若干の不安をもちながら仕事をスタートしましたが、御住職のお導き、七久里石材店様はじめ多くの方々のご努力によって、率直なところ、予測していた以上に素晴らしい供養塔の完成に立ちあうことができたと感じています。仏と石と彫刻と言葉がひびきあう、他に類例のない新しいかたちと空間が生まれたと作家本人は確信しています。
過去の歴史と遺産と新しい創造の息吹が宿ったかたちと空間が今後どう移ろいでいくのか、見守っていきたいと思います。
(宗吽寺便り二〇〇二年十一月十六日 より)
   
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長野県/上田市
海堂山宗吽寺・共同納骨室 | 全体デザイン監修・全面彫刻制作設置
御影石、 ステンレス
2002

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