青木村現場打合せの余暇、
名湯田沢温泉近く、みずみずしい青葉一面の中の紅一点、赤い葉のモミジに誘われて、久しぶりに林らしい林の中へ。
はじめて踏み歩く落葉の上、何か出てこないかとすこしドキドキする懐かしい感覚です。
自然が豊かに生きるこの辺り、沢沿いでは夜にホタルが無数に舞っていました。
たまたまのホタル満喫。夜の写真は真っ暗につきありません。
次回の青木村訪問は来月中旬、モニュメントの設置工事に伺います。
ハナミズキが華やかで爽やかな季節です。
これも、あちこちに多過ぎて、だんだん触手が伸びない木になっていたのですが、
ハナミズキの白とサトザクラ(関山)の濃いめのピンクが同時に咲く風景はいいな、と、思います。
写真は毎朝の通勤路で何年もこの季節に見かけてきた花の景。
東村山で進む「つむじプロジェクト」で、この組合せを取り入れました。
府中街道沿いのアイストップとして立つハナミズキと、その先の広がりに大らかに育つであろうサトザクラ。数年後が楽しみで仕方ありません。
今週始めは、愛媛新居浜市でアートワーク設置の現場打合せをして着工しました。
来週末設置工事です。仕事の写真は月末にアップ予定。
で、新居浜での余暇をアップします。
1691年の別子銅山開山から1973年の閉山まで283年間、銅を採掘し、
当時世界有数の産出量を誇った時期もあった日本三大銅山の一つ。銅(あかがね)により発展してきた新居浜市。
▲東平貯鉱庫跡:重厚な花崗岩造りの貯鉱庫跡です。
周囲の植栽は近年に修景されたものだと思いますが、標高750mの山中に残る天空のまち「東洋のマチュピチュ」とも呼ばれる美しい遺跡です。
▼インクライン(傾斜面を走る軌道)跡に見える今の風景。
煙害や大災害という、恐らくは先鋭的な公害問題を「鉱山は国土を損する仕事故、国土を護ってゆく仕事をする必要がある。云ひ換ふれば、罪滅ぼしの為に……、それに山林事業が最も適当」という、恐らく当時は先鋭的な英断な英傑の判断による植林事業の成果もあり、緑深い自然の山へと戻った姿が、産業遺構の風景と相俟って私の目を楽しませてくれました。
仕事合間の探索も、この説明も、超駆け足ではありますが…
とても興味深く美しい現在の風景でした。
最盛期には5000人ほどの鉱山関係者と家族が暮らし、娯楽場も学校施設もあり賑わいのあった山のまち。
もう一度ゆっくり探索したいと思います。
▼展示されているジオラマが、やたらリアルで見応え十分です。
とても細部に拘る人が多い町だと思ったのは、
ふと気になって立ち寄った民家を改修した焼き鳥屋「古家」さん
写真では伝えづらいのですが、どこを見ても、細部に目を凝らしても一々気が利いてる佇まいでした。
他にも、お蕎麦屋さんの庭とか、モダンなカフェとか、
恐らく有名なお店なのでしょうけど、丹念な仕事を道すがら楽しんできました。