小林賢二のしごと

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蹴上インクライン
2022年12月11日


銀閣寺から南禅寺まで2kmほどの哲学の道を歩いて、蹴上インクラインで今回の10日ほどの出張を終えました。
   
▼哲学の道


▼南禅寺

▼インクライン軌道敷

30年ほど前、ランドスケープデザインの師匠・鄭雄男氏のもとで、インクラインの一部解体・復元工事に伴う土木遺産調査に参加していました。
石積みの解体・復元調査を主体に、レールのロールマーク、犬釘、煉瓦の刻印調査のディテールに及ぶ興味深い業務で、私は図面から報告書作成作成までの一部をお手伝いさせていただきました。30前後の頃にデザインや石の彫刻制作とはまた違う石積み調査に携わって、こんな事が自分の将来に何か役に立つのかなと半信半疑で日々の作業をこなしていた記憶もありますが、その後に盛んに動き出すことになる石を使った庭づくりにおいては、大切なバックボーンの一つになっているようです。
広島若葉家具の石工事を石工の力を借りながら数日でまとめられたのも、色々な経験のおかげなんだと思います。
   
▼1998年2月に発行された報告書


久々にページをめくると、鄭さんの他、第二の古巣・苑環境計画のメンバーだった朴朝香さん、上野一平さん、今はドイツに帰ってガーデンデザインを続けているペーターと、懐かしい名前が並んでいます。

銀閣寺だけ見て帰京しようと思いバスに乗りましたが、こちらはもう35年ぐらい前だろうか、第一の古巣・剣持デザイン研究所で平行定規を並べて夜中まで働いていた頃の同僚の訃報を最近に知ったり、ノスタルジックな気分もあったのか、インクラインまで足を伸ばしたくなったようです。
様々な人や仕事との出会いに感謝して、力にして、また次の仕事にエネルギーを注ごうと思います。

銀閣・慈照寺
2022年12月11日


庵治石を踏査した帰り、半日だけ京都に立ち寄りました。
銀閣寺から哲学の道を歩いて蹴上インクラインまで。

総門から京都市街の喧騒を遮断するような高生垣の参道〈銀閣寺垣〉を通って中門へ。
奥に行く程に石垣の高さを低くする遠近法が使われているそうですが、遠近法を庭づくりに取り入れるのは当時の京都での流行りだったのかもしれません。
   
岡山後楽園に続いて目線の多くは足元に向かっていました。
創建当時のものではないにせよ、気が利いて清潔感のあるデザインには惹かれます。


本堂と観音堂(銀閣)をつなぐ主庭は静謐というより、けっこううるさいように感じます。
白川砂の向月台と銀沙灘は、創建時にはなく江戸時代に出来たと考えられているそうですが、創建時の庭の様子が知りたいところです。

コケに覆われた緑地と白砂のエリアとのコントラストがこの庭の魅力ではあります。


何度か訪れてる銀閣寺ですが、今回のチェックポイントの一つは、白川砂のエリアのエッジの処理、でした。


足元はマンリョウが生き生きとする季節。
実生で出てきたものを取捨選択しているのでしょうか。


目線を上げれば、垂直に伸びる杉林の中で、縫うように横に枝葉を広げるモミジも印象的です。

これも近年に付け加えられた竹穂垣だと思います。
↓来年の造園現場のためにメモ

岡山後楽園
2022年12月09日


若葉家具の現場の後、今週はじめは高松の庵治へ。年明け工事に向けて制作を進めていた石彫刻をチェックして、来春工事の造園に使う石を踏査。
広島府中から高松へ移動の途中、1日休暇して岡山に初めて立ち寄りました。
岡山城と後楽園を見歩いて、倉敷にちょこっと。
   
後楽園では、若葉家具の庭工事の後だったからか足元の石を追っかけて見ていくと、趣向を凝らしたいくつもの橋に目がいきます。






●趣向を凝らす=より楽しく、より面白くなるように工夫すること、あるいは、風情や趣が深みを増すように工夫すること。
   
どこか共通する感性が感じられるデザインで、同じ作庭家の仕事なのか、イメージを共有して複数の方々が、或いは歴史の積み重なりの中で作られてきたものなのか、様々な興味が生まれますが、いづれにしても庭づくりを楽しんでる様子がうかがわれて好感でした。
   
遊び心が随所に見られる朗らかな庭です。

   
↓メモ

↓岡山城でもメモ ふんだんに石を使っててうらやましい、、



倉敷美観地区
って、自分で言うなよ、的なネーミングが苦手でしたが、
↓倉敷でもメモ


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